「いいたて村民食堂」とは
「いいたて村民食堂」は飯舘村の村民と福島大学行政政策学類大黒ゼミの学生たちが、『ごはんを一緒につくって一緒に食べる』というプロジェクトによる交流の場です。
高齢者は、作った野菜を使って料理を作り、若い人に食べてもらうことを生きがいにし、若い家族は「じじばば」の味をいつまでも懐かしく思ってきました。しかし、長い避難生活や、高齢者のみの帰還によって世代間の交流と食文化の継承が難しくなっています。このプロジェクトでは、①飯舘村の高齢者が若い人たちを食事に招待し、②自分たちがつくった野菜で日常食をつくり、③彼らに振る舞いながら一緒にだべる機会をつくることで、高齢者の生きがいづくりを通じた食文化の継承を目指しています。
この目的を達成するにあたり、「村の方々がいつもごちそうしてくれるおいしい漬物をメインにしたお膳をつくる」そんな目標を立てて月に1回のペースで開催しました。
今年度は村のお母さんたちから飯舘村で昔から作られてきた様々な家庭の味を教えてもらい、記録をしています。
ただ教えてもらうのではなく「いっしょに作って、いっしょに食べよう!」そんな取り組みにしたら、レシピだけでなく、飯舘のこと、飯舘の味、飯舘の人たちの思い出話も聞けました。
▶令和3年度報告冊子「飯舘村食のノート」【PDF】5.2MB
2021年12月には飯舘村で作られた新しい品種「あぶくまもち」を使った「いいたて村民食堂」を開催しました。
↓イベント概要はこちらを御覧ください。
学生レポート(福島大学行政政策学類大黒ゼミ)
「福島大学生、飯舘村で活動する!〜飯舘米を出世させる 〜」
飯舘村は、東日本大震災後に起きた福島第一原発事故で放出された放射性物質によって村内全域が汚染され、6000人を超えるすべての村民が長期にわたる避難生活を余儀なくされた村である。私たちのゼミでは、震災直後から10年にわたって、常に飯舘村民や村の復興に寄り添い、「村や村民のみなさんに今、必要とされていること」に取り組んできた。
震災から10年が経った2021年には、震災前に村で栽培されていたもち米が復活栽培された。当時は、「今後の村のもち米生産の主力品種になる」と期待された「あぶくまもち(阿武隈餅」である。
土地の汚染と全村避難によって、飯舘村では長期にわたって農産物生産ができなかった。2017年3月に村の一部地域(長泥地区)を除いて避難指示が解除されて以降、村内での農産物生産が徐々に復活し、放射性物質が検出されない安全な米や野菜が作られてきたが、それでも、以前のような豊かな農産物生産が完全に取り戻せたわけではない。とりわけ、米を村内で生産し、おいしい飯舘の米を、自分たちはもちろん、県内外の多くの人に食べてもらえるようになるのは、多くの村民の願いだと思う。
米はやはり地域の農業生産の基本である。私たちは米を食べて生きてきたし、村には、日々食べる米のほかに、お祝い事のあるときにみんなで食べる「おこわ」や餅があり、また、米を使って作る味噌や、米を原料にして作られる甘酒や煎餅は、村の日々の生活になくてはならないものである。米は村の日常生活にいろいろな形で溶け込んでいるのだ。
私たちの今年の活動の一つは、この飯舘村の日常生活の中に溶け込んできた「米」を、みんなで復活させよう!というものである。私たちは2021年12月に、飯舘村で作られた米を原料にして、私たちの手で、「おこわ」を作り、米を加工して「煎餅」や「甘酒」を作って、みんなで食べようというイベントを村内で開催した。このイベントは、いつも私たちの活動を支えてくれている村のおばあちゃんたちと一緒に企画し、開催したものである。
私たちはこの活動を「飯舘米を出世させよう!」と名づけた。「出世魚」といわれる魚があるが、出世魚が成長するたびに、どんどんとおいしい高級魚へと「出世」していくように、飯舘で作られた米を、村のおばあちゃんたちや私たちで、丁寧に手を加えて加工し、みんなに喜ばれる食べ物に「出世」させようというのである。
私たちが作ったメニューは、①一汁一菜膳、②煎餅、③餅のピザ、④甘酒、⑤酒饅頭の5つ。
まず、一汁一菜膳について説明します。一汁一菜膳とは、主食の米に味噌汁(一汁)に漬物(一菜)がついた日本の伝統的な基本食ともいうべきもので、質素だが健康的な食事として、近年見直されているもの。この膳のメインは一菜である「漬物」だ。たかが漬物と侮るなかれ、漬物一つ一つに個性があって、そのまま食べてももちろんおいしいけれど、米や味噌汁と一緒に食べることで、すべてが一体となって「一食」になるという大切な存在である。私たちは、飯舘で作られた「米」とともに、飯舘のおばあちゃんたちが震災前からずっと作り続けてきた多種多様な漬物が活きるような「一食」として、この「一汁一菜膳」を企画した。長年にわたって村内で活動を行う私たちだが、私たちが村の人を訪ねると必ずふるまってくれるのが「漬物」。「まあ上がってって」というお誘いの言葉とともに、いつも漬物が出てくるのだ。きゅうりのことがあったり、大根のことがあったり、キャベツのことがあったり、梅干しのことがあったり…本当にいろんな種類の漬物があるが、どの漬物もおいしいこと!飯舘の米とともに、村のおばあちゃんたちがつくる漬物も食べてほしい!
米は「煎餅」にも形を変える。米をきれいに洗って乾燥させ、その米をまた蒸して、さらに搗いたうえで薄く延ばし、型抜きして乾燥させると、「煎餅のもと」が出来上がる。きっと貴重な米が余ったときに、それを保存できるように加工したのが煎餅のはじまりだと思う。ちょっと小腹がすいたときパリパリと、またお客さんが来たときに「どうぞ」といってお勧めする、私たちの日常、飯舘村をはじめ、どんな村の日常にもなくてはならない「煎餅」だ。準備していた「煎餅のもと」を、村の名人に教わりながら火をおこした炭火で焼き、醤油をつけると、あの香ばしいパリパリ煎餅ができあがる…はずだった。が、うーん、なかなかうまくいかない。焦げてしまったり、うまくできたようでも硬すぎて食べられなかったり…今回はうまくいかなかったが、これから何度も試作して、飯舘村の煎餅を私たちの手で作り上げていこうと思っている。
煎餅はうまくいかなかったが、とてもおいしくできたのが、甘酒だ。甘酒は、日本の「国菌」ともいわれる「こうじカビ(糀菌)」の発酵を利用した日本の伝統的な甘味ドリンク。もともとはイネに寄生する病気である「こうじカビ」だが、米のでんぷんを糖分に変える働きを持っている。だから、このこうじカビをうまく利用すると、米から甘味を作り出すことができるのだ。甘酒といえば昔は、田舎の「甘味」としてとても貴重な飲み物だったが、甘味にあふれた現在でも、甘酒は、こうじカビが生み出す様々な栄養素が見直され、健康ドリンクとしても人気が高まっている。私たちは飯舘の米からつくった「こうじ(糀)」で甘酒をつくり、スッキリとした甘さは大好評だった。
日本酒は、甘酒をさらに発酵させることによってできるお酒。こうじカビが作った糖分を今度は酵母菌がアルコールへと変えていくのだ。米は甘酒に、そして甘酒は日本酒へ。日本の米文化である。面白いのは、甘酒が日本酒に変わるプロセスの中で、炭酸ガスが発生することだ。この炭酸ガスを利用してふかふかの生地をつくり、小豆でつくった餡を包んで蒸しあげたのが「酒饅頭」。古くからある日本のお菓子もやはり、米から作られている。私たちもこの酒饅頭づくりにチャレンジした。が…これも失敗。寒さで炭酸ガスの発生がうまくいかなかったようだ。あきらめずにまた、私たちの酒饅頭をつくりたいと思っている。
私たち福島大学大黒ゼミの飯舘村での活動は、すでに10年もの歴史がある。うまくいった活動ばかりではなく、失敗も数多く経験してきましたが、常に村の人たちと一緒に、楽しくやってきた。これからも、「今必要とされていること」を見つけ出し、少しでも飯舘村のみなさんと村の復興のために、頑張っていきたい。
◇これからのいいたて村民食堂
これからもより多くの村民と若者が食文化を通じて世代間交流を行い、村民の生きがいとなるよう事業を継続していきます。
また、文化継承にも力を入れて、飯舘村の食文化が途切れてしまわないよう、若い世代を巻き込んだ事業を行っていきます。
事業名:飯舘村「一緒に食べて世代間交流、ともに笑って食文化継承」を目指そう
助成:令和3年度福島県県内避難者・帰還者心の復興事業補助金
実施団体:一般財団法人飯舘までい文化事業団
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