津波被災を経て福島大学で学ぶ、そして…

 

⑨津波被災を経て福島大学で学ぶ、そして… 

 

巨大な大津波が僕の故郷宮古市田老を襲った。未曾有の大震災は、平成二十三年三月十一 日に起こった。三月十一日は卒業式の前日だった。僕は明日の卒業式へ向けて、中学校の体 育館で合唱の練習をしていたところだった。すると、体験したことがないとても激しい揺 れに襲われた。僕はとりあえず、体育館の壁に寄って、揺れがおさまるのを待った。 

しばらくして、揺れが弱くなった瞬間を見計らって、全速力で中学校の校庭に避難した。避難したものの、地面は波を打つように激しく揺れるので、不安と恐怖から泣く者もいた。すると突然、遠方で黒い土煙と言葉で言い表すことができない不気味な黒い波のようなものが見えた。そして、「津波だ、逃げろ」と先生が大声で叫んだ。僕はそれを聞いて無我夢中で中学校の裏山を目指して全速力で走った。何も考えずにただひたすらに走った。これでもかというぐらい高く上に登った。ここまでは津波も来ないだろうと山から見下ろすと、地獄のような景色が僕の目に飛び込んで来た。言葉が出なかった。僕は何を考えて良いか分からなくなった。頭がおかしくなりそうだった。何もかもすべてを津波はのみ込んだのだ。 

その日は、ひとまず近くの役場の一室を借りて、一夜を明かすこととなった。しかし、部屋は狭くとてもくつろげるような広さではなかった。みんな窮屈と分かっていても、それを口に出す者は一人もいなかった。そんな中、毛布が届いた。しかし、全員分ではない。当然、毛布がもらえない人もいた。毛布が入っていたダンボールを裂いて、毛布代わりにしたり、自分の上着を他の人に掛けてあげる人もいた。こんな危機的状況で他人を思いやれるやさしさは、本当に素晴らしいものだと思った。僕はこんな仲間を見て尊敬した。 

夜の十一時半を回った頃だった。おにぎりが全員分ではないが届いた。あの悲劇から何も口にしていなかったので、おにぎりを見た時は天にも昇る心地だった。しかし、現実は厳しかった。小さなおにぎり一個を三人で分けて食べたのだ。三人で一個だったので一口サイズだった。しかし、その一口サイズのおにぎりは格別にうまかった。一口だったが、味わって食べた。これほどうまく感じた白米は初めてだった。普段、何気なく食べているご飯がどれほどありがたいことか分かった。 

悪夢の日から夜が明け、役場から外を見るとすごい光景が広がってきた。家や車が押し 流されて、グチャグチャになって見るも無惨な光景だった。そこを、迷彩柄の服を来た人らが担架を持って歩いていた。人命救助をしている自衛隊だ。僕は、その姿を見たとき、なんとたくましいのだろうと思った。自衛隊の勇姿を見て、僕も負けてはいられないと思った。そして、僕は母と妹がいる宮古北高校へ行った。父とは、震災から三日経ってから会った。それから、祖母が避難所の小学校にいると聞き、会いに行った。その途中、友達が重いダンボールケースを担ぎながら歩いているのを見た。友達は、田老のためとボランティアをしていた。ただでさえ、自分のことで精一杯な状況で田老のために働くその勇姿に僕は心を打たれた。僕も、その翌日からボランティアに参加した。僕も小さなことでも良い、何か田老のためにしなければと思って働いた。僕は、その友達に「ありがとう」と伝えたい。 

僕は、震災を通してたくさんのことを学んだ。食べ物のありがたみや、人のやさしさや、 思いやり、他にもたくさんの事を震災は僕に教えてくれた。その教訓を胸に僕は、福島大学に入学した。僕とは違う被災体験をした飯舘村の皆さんが避難する仮設住宅でのボランティア活動、帰村した村や村民のみなさんの復興支援活動、福島の体験や現状をドイツや台湾の大学で報告もした。 

20224月から僕は、自分の故郷にもどることになった。市役所職員として、津波被災で学んだこと、そして大学での多くの活動を通じて学んだことを、街づくりにどう活かしていけるか。がんばっていきたい。 

 

Illustration:Misato Fukuda 

經過海嘯災害之後在福島大學學習之後…… 

 

一場巨大的海嘯襲擊了我的家鄉宮古市田老地區。史無前例的大地震發生在2011311號。311號是畢業典禮的前一天。為了明天的畢業典禮,我正在中學校的體育館裡練習合唱。然後,我被一種從未經歷過的劇烈震動擊中。暫時靠在體育館的牆邊。 

看到晃動變的瞬間,全速撤離到中学校的操場。儘管撤離了,但當時地面像波浪一樣劇烈震動時,有些人還都因為焦急和恐懼而哭泣。突然間,從遠處我看到了黑色的塵煙,完全無法用語言來描述的詭異黑浪。然後老師喊著「海嘯來了,快逃跑」聽到這話,我以全神貫注朝著中学校的後山全速跑去。什麼也沒辦法想就跑了。即使如此高的山我也爬了上去。從山上往下看,認為應該海嘯不會沖到這裡來。往山下看到像地獄圖的景觀。只張開口說不出話來。不知該怎麼思考了,感覺好像快瘋了。海嘯吞噬了一切。 

 

那天,先在附近的區公所裡借了一間小辦公室過夜。然而,房間很小,不是很舒服。儘管每一個人都知道房間很擁擠,但沒有任何一個人訴苦。同時送來了毛毯,但並不是每個人都能拿得到。有些人撕破裝毛毯的紙箱來替做為毛毯用。還有人拿自已的外套給別人蓋。覺得在這樣危急關頭,還能去擔心關懷別人,真的實在太好讚啦。看著這樣的夥伴實在值得尊敬。 

已經是晚上11點半左右了,送飯糰來了,雖然不是每個人都能吃到。經過那場悲劇後什麽都沒吃,所以當我看到飯糰的時候,感覺好像上了天堂一樣的心境。然而,現實是很殘酷的。一個飯糰分3個人吃,但這一小口的飯糰怎麼這麼好吃。第一次感覺到白米飯是這麼的美味可口啊。發現自己平時都不在乎的白米飯竟讓自已感激不盡。 

從噩夢般的一天到黎明時,當我從區公所的辦公室向外望下時,嚇人的景觀。看到房屋和汽車等都被沖走並弄得一團糟,真的太可怕了。身穿迷彩服的人抬著擔架往那裡走過,拯救人命的自衛隊。當我看到他們時,我覺得,這個樣子真的令人感到強壯的形象。自衛隊員的勇敢樣子,覺得自己也該奮起。然後我去找我的母親和妹妹所在的宮古北高中。地震發生三天後,我與父親見面了。然後聽說我祖母在小學避難所,就去找她。一路上,我遇上朋友搬著一個沉重的紙箱走在路上。我的朋友正在為田老地區做志工。這樣的危急狀況下,做自已的事都以經滿滿的竟然還能為田老地區自願做志工令人感動佩服。所以我也隔天開始自願參加志工。因為我認為應該為田老地區做點什麼,即使是小小的一件事。我還想跟那位朋友說聲「謝謝」。 

我從這次的地震災害中學習到很多。感受到對於食物的感激之心,人們的慈悲善意,同情心和其他的事情。在心中留下這個教訓,進入福島大學,與我不同的避難的狀況不同的飯舘村民們在臨時住宿的地方做志工活動,協助返回村莊的村民們重建支援活動,還向德國和台灣的大學報告發表在福島的經歷與現在的狀況。 

從2022年4月起,我將回到家鄉,作市政廳的公務人員,我如何將自已從海嘯災難中學到的知識以及大學裡的許多活動中學到的知識應用到家鄉村市的發展中。我會盡全力以赴。 

 

Illustration:Misato Fukuda